藤森神社

京都 毘沙門堂 勝林寺と申します。
本日は5月5日 子供の日で御座います。
京都は生憎の雨で御座いましたが全国各地の神社仏閣で様々な行事が行われていたかと思います。
東福寺の近く伏見稲荷の南・・・
「藤森神社」においても毎年5月1日~5日迄 行事が行われております。
駈馬神事や、菖蒲の節句の発祥地として名高い。
本日は「藤森祭」の神輿もでておりました。(一社東福寺が寄進したものも御座います)
神輿は祭礼当日、氏子地区を渡御する。神輿は江戸時代、氏子民が財力を注ぎ込み造ったもので、京都において最も優雅なものとして知られ、美術品としての価値も高く、
この伏見稲荷神社の地は元来、藤尾(ふじのお)と呼ばれ、現存する藤森神社の境内だったという。
稲荷神社を建てるにあたり藤森神社に出かけ「小さな祠を造りたいので数束の稲を置く場所をお借りできないものか?」と頼んだという。
藤森神社は、いくら大きな稲束でも数束なら10坪もあれば?と・・・了解したらしいですが・・・稲荷派の者は直ちに大きな稲束を持ち込むと、
その束を開き稲わらを1本ずつ取り出し縦に線を描くように並べて稲荷の山を囲み「藤森さんから了解されたのだから」と、その中腹に社を建てたと言う・・・。
藤森神社の祭りの日、氏子と共に神輿は何故か稲荷神社の境内に入り込み、楼門にて大声で「土地返せ!・土地返せ!」と叫ぶ!
すると稲荷神社から神主さんの代理人らしき者が現れ「今神様は不在なので!」又は「あと3年まってくれ!」と神輿に向かって大声で読みあげる・・・・すると神輿は「また来年も来るぞ!」と言って引き返すと言います。
また、平安時代、稲荷と藤森の両社が土地返せ問題で鋭く対立したという・この時、両社を仲裁したのが東寺、と言われるが、実際は、仲裁というより稲荷を藤森から助けたと云われています。
稲荷神社と東寺は友好関係なり稲荷の祭りの日、稲荷の神輿は「その節はありがとうございました」と数キロ離れた東寺に御礼に出かけます。
稲荷神社周辺は全て藤森神社の氏子で、稲荷の氏子は東寺周辺に集中しているというのも事実です。

勝林寺住職 合掌

カテゴリー: 未分類   パーマリンク

コメントをどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

*

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <strike> <strong>